慈光寺の宝物|国宝・国の重要文化財、県・町の指定文化財など
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国宝
「慈光寺経」装飾法華経信解品(そうしょくほけきょうしんげほん)
国宝「慈光寺経」は、国宝「久能寺経」、国宝「平家納経」についで鎌倉時代初頭につくられた三大装飾経の掉尾を飾る優婉華麗な名品です。
元久3年(1206年)3月7日、大政大臣藤原良経の急逝を後鳥羽上皇(1180~1239年)がいたく悲しまれ、中宮宜秋門院(1173~1238年)を中心に営まれた一品供養協経といわれています。往時の高雅な宮廷文化の美を蔵して、奇しくもここ比企山中に伝承されました。
国の指定重要文化財
紙本墨書大般若経 152巻のうち
奥書に、貞観13年(871年)に上野国(群馬県)の役人である安部小水麻呂が書写したことが記されています。
かつては600巻ありましたが寺から散逸し、現在は152巻が残っています。
また、関東地方最古の写経として知られています。
寛元3年銘銅鐘
金銅密教法具
慈光寺開山塔
県の指定文化財
十一面千手千眼観世音菩薩像
本尊 十一面千手千眼観世音菩薩像
当山のご本尊、十一面千手千眼観世音菩薩像です。
埼玉県指定文化財です。寄木造り、漆箔、彫眼、像高265cm
千手観音様は母親
赤ん坊は自分では何もできません。
毎日の授乳や衣類・オムツの交換・入浴など、お母さんの手と目は休まず大切な役目を果たしています。
自分以外に絶対に頼めないものとして、食物を摂取する、排泄などを1日で結構ですから数えてみてください。
もちろん3歳ぐらいまでは母親の役目でしょうから…。
千手観音様は吾が子を育てるために、差し出す千(たくさん)の手と、いつでもいかなる場合でも守護する眼など掌(たなごころ)を示現するお姿で「十一面千手千眼観世音菩薩」と申し上げます。
相手を受け入れる愛情は両手を開いて差し出す“抱き上げる”ことで、合掌は世の中でただ1人というかけがえのない自分自身を大切にする(自分だけよければいいという自己本位ではありません)『唯我独尊』をあらわしそれぞれの手に慈悲の心が表現されています。
子どものことでいつまでも喜怒哀楽を表情としているのが、優しいお顔の上の頂上顔(十一面)として具現されています。また、当山の観音様は、子どもをおんぶすることを顕現して、左手の掌が後ろを向いています。(甘露手)
サンスクリット語でアヴァロキテスヴァラと申し上げる観音様は、仏陀になろうとするお方で、仏教の世界では最も崇敬され、祈りを捧げられるお方です。
当寺の観音様は、11のお顔、1000の手(40本の手と25の利益でかけて1000となります)、1000の眼を持つお姿に作られています。これは、観音様のお姿としては典型的なもので、十一面千手千眼観世音菩薩、つづめて千手観音と申し上げます。
観音様は両性具有と考えられていますが、当山の御像は子どもの世話をする母親のお姿になっており、11のお顔は、母親のさまざまな表情を表しています。喜び、怒り、悲しみ、楽しみ……。そのお手は観音様の慈悲を象徴しており、そのすべてがわたしたちの苦しみ、悲しみを受け入れようと、わたしたちにむけてさしのべられています。また、1000のお目はわたくしたちを見守り、諸悪から守ってくださっているのです。
中央で合わせられているお手は、自分自身の価値を認め、尊ぶことを表しています。これは決して利己心ではありません。他を尊重するためには、まず自己を尊重せねばならないのです。また、左下方のお手のひとつが後を向いていることにお気づきでしょう。このお手は、子どもをおんぶすることを表し、これもまた、観音様の慈悲のお心を象徴します。後ろ向きのお手は、観音様の御像には大変めずらしいものです。
観音というお名の「観」は「見る」ことを意味し、「音」は音を意味します。このふたつが合わさったお名には、人々の苦しみ、悲しみを「見て」「聞く」観音様のお力が示唆されているのです。
坂東にある33の観音様を巡拝する伝統があります。この巡礼は「札所巡り」と呼ばれ、慈光寺はその第九番にあたります。大勢の人が、慈光寺の観音様を拝みに登山します。
その他の県指定文化財
木造宝冠阿弥陀如来坐像
木造聖僧文殊菩薩坐像
徳川家康画像、天海僧正画像
青石塔婆
開山塔出土一括
蔵骨器
多羅葉樹(タラヨウジュ)
町の指定文化財
木造勢至菩薩坐像
木造観音菩薩坐像
鰐口
木造十一面観音菩薩立像
慈光寺観音堂
伝毘沙門天立像
日吉山王七社版木